• 27名無しさん
    2020/07/23(木) 08:01:40 ID:eWFOxohk0

    松山 三四六(まつやま さんしろう、1970年7月9日 - )は、日本のものまねタレント、リポーター、ラジオパーソナリティ、長野大学社会福祉学部客員准教授。JVCエンタテインメント所属。ものまねタレントとしては、三四六として出演している。
    生年月日
    1970年7月9日(50歳)
    出身地
    東京都
    本名は秦 光秀(はた みつひで)。旧芸名は、松山 三四郎(まつやま さんしろう)、三四郎。
    明治大学在学中の1994年に日本テレビの「史上最強ものまねバトル大賞」の素人選手権で優勝し、吉本興業所属で芸能界デビュー。同年に「オールナイトニッポン」のパーソナリティをつとめ、同時にラジオパーソナリティとしてもデビューするが、ブレイクするのは1998年。同年4月にスタートしたTOKYO FMの「エモーショナルビート」のパーソナリティを任され人気番組に押し上げたのである。
    2000年9月に番組が終了すると活躍の場を長野県に求め、2001年4月からスタートしたFM長野の「346 GROOVE FRIDAY」のメインパーソナリティを務め、以来活動の主軸を長野県において芸能活動をしている。
    芸名の三四六は柔道の姿三四郎にちなむとされており、現在の所属事務所移籍時に松山三四郎から改名している。ちなみにこの松山は松山千春から千春の物真似の実力を認められ直々に命名されたものだった。
    1998年に「ものまねバトル大賞」で共演した女優の網浜直子と結婚し、2子がいる。

    長野県での活躍 編集
    FM長野の番組「346 GROOVE FRIDAY」が開始され、2006年4月1日に長野朝日放送(abn)で放送中のローカルワイド番組「ザ・駅前テレビ」MCを務めるなど、本格的な長野県内テレビデビューを果たす。
    2007年12月8日放送の「ザ・駅前テレビ」の企画「三四六教授が行く! ~初冬の塩田平で教鞭をとるのだ!~」における長野大学での講義及び実習がきっかけで、2008年5月1日に同学の社会福祉学部客員准教授に就任した[4]。
    FM長野の番組で「税金は誰しもが払う義務があります。例え身体の具合が悪い人も通院や薬を控えても払わなきゃいけないのです。」と言っていた。
    上記番組以外では『346 Bar』(信越放送)にも出演していた。長野県のテレビ局やFMラジオ局を中心とし、現在でも多方面で活躍中。
    また「信州ラーメン博」や「ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)」の開幕試合等々の総合司会などイベントなどでも活躍。「BCリーグ」に参戦中の地元長野県を拠点とする「信濃グランセローズ」に対してはその公式応援歌「戦場のカモシカ」を提供するなど、応援団長という肩書きの元に親密な関係も構築している。
    インターネットでの活躍 編集
    株式会社カレッジリーグの運営する大学生向けSNSサイト「e-college」で、毎年春の新入生入学シーズンに『キャンパスハッピーライフの伝道師』として、期間限定でインターネット動画に登場し、自身の大学時代(柔道部在籍)を語っている。
    「346 GROOVE FRIDAY」にリンクした三四六の公式ブログ、「三四六語録」も展開していたが、諸般の事情により、一時休止していた。その後、ヤプログ!からダイヤモンドブログに移転、2009年4月16日より更新を再開した。

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