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明けましておめでとうございます。
日本は過去に零戦という極めて難しい戦闘機を開発し運用して来た歴史があるからこそまた更に更に難しい戦闘機F-35を導入し国防のために運用していって欲しいと願っています。
ということで年始にあたり零戦のアニメーションGifファイルを貼りたいと思います。
零戦とは本来三菱が開発した戦闘機でしたが戦時体制下ということで国の命令によりライバル会社でも生産されていました。
この零式艦上戦闘機五二型甲A6M5a製造番号61-120号機は昭和18年5月に群馬県中島飛行機小泉製作所で製造され同年6月に海軍第261飛行隊へ配属後に硫黄島を経てサイパン島へ移動、サイパン島の第一飛行場を基地としますが昭和19年6月第一飛行場がアメリカ軍に占領されてしまい本機を含む13機の零戦はアメリカ軍の手に渡ってしまいました。
その後本機を含む零戦はアメリカ本土に輸送されアメリカ各地で飛行テストが行われました。
大西洋単独横断飛行で有名なチャールズAリンドバーグを含め多くのアメリカ人テストパイロットもその操縦桿を握り飛行したといいます。
4ヶ月間で秘密の多くを解明された零戦のテスト飛行も終わり後はスクラップにされるのを待つばかりでしたが所有機を時間をかけてレストアする活動を続けていることで有名なプレーンズオブフェイム航空博物館が本機を買い取ることが決まりました。
彼らの復元活動の努力により本機は33年間の年月を経て昭和53年6月に再び大空を舞うことに成功各地で飛行する姿を披露してまわっています。日本へはこれまで三度里帰り来日を果たしています。
本機といっしょに買い取られた製造番号61-131号機の零戦はスミソニアン航空宇宙博物館に展示されておりその他の11機は残念ながらスクラップにされてしまったようです。
零戦はこのような急な反転や急旋回が世界中のどの戦闘機よりも素早く出来たため敵戦闘機の背後に素早く回り込むことを得意としておりこのことは当時のアメリカ人にとってかなりのショックでした。
馬鹿にしていた日本人にことごとく自分たちの戦闘機が撃ち落とされ尽くすとは…