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解釈

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(Très Riches Heures du Duc de Berry)』に描かれた、パトモス島の福音書記者ヨハネの図。王座の周りを四人の熾天使(セラフィム)が囲み、純粋をあらわす白いローブに身を包む24人の長老が両側に座る。彼らは金の冠を頭に被っている。黙示録では24人の長老の正体を明示してはいないが、伝統的にヤコブの12人の息子とイエスの12人の使徒とされていた。
ヨハネの黙示録には【ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした(1-2)】【イエスの証しは預言の霊なのだ(19-10)】と記されている。

この言葉は福音書の【人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない(マタイ12-32)】【父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊(ヨハネ14-26)】と呼応しており、ヨハネの黙示録自体が福音書に記されている聖霊であることを示している。

また、解釈をしようとすると【これに付け加える者があれば、神はこの書に書いてある災いをその者に付け加える(22-18)】と記されており、簡単に解釈するわけにもいかない。しかし、この言葉は、逆に、この書に書かれている災いを自ら受ける覚悟を持てば、解釈も許されると言う意味ともなる。では、この災いとは何か・・・・・個人として受ける災いは、火と硫黄の燃える池(21-8)であり、ここに入るのを覚悟しさえすれば、解釈することも可能である。

つまり、解釈するためには、実際にこの火と硫黄の燃える池に飛び込むしかない。

『黙示録』は歴史の中で様々に論じられてきた。特に『聖書』の中でもここにしか現れない「千年王国」論の特殊性への賛否やキリストの再臨の解釈をめぐって多くの議論を巻き起こした。しかし、歴史の中で現れた多くの解釈をまとめると預言書、文学、普遍的イメージの三つの見方に集約することが出来るとする立場もある。

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