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風神と雷神の間の空間には、システム管理者が、囲炉裏を囲んでキセル(タバコ)を吸っています
実はこコンピューターを表現しています
風:エアコン
雷:電気
この中に、弥勒菩薩と閻魔大王がいます
江戸時代にコンピューターを想像できるはずがないのですが、基本線を忠実に立派に描かれています
このJPG画像をプリンタで紙に出力して、さらに、4つ折りにして、ラジカセの前に建てます
出来れば置き時計があると良いです
コンピューターの時間経過を司るシステムクロックに相当します
クロックが1個進むごとに演算が行われるという
キセルで 「 カルマ編集 」 を抑制するという技術をシステム管理者は持っています
この辺り詳しく書けないので、まあ、各自のご想像でお願いします
作者 俵屋宗達
製作年 寛永年間頃
種類 紙本金地着色
寸法 154.5 cm × 169.8 cm (60.8 in × 66.9 in)
所蔵 建仁寺、京都府京都市
国宝。2曲1双、紙本金地着色。建仁寺蔵(京都国立博物館に寄託)。落款、印章はないが、宗達の真筆であることは確実視されている。製作年については17世紀前半の寛永年間、宗達最晩年の作とする説が有力だが、法橋印が無いことや、おおらかな線質が養源院の杉戸絵と共通することから元和末期(1624年)頃の作とする説もある。
宗達の最高傑作と言われ、彼の作品と言えばまずこの絵が第一に挙げられる代表作である。また、宗達の名を知らずとも風神・雷神と言えばまずこの絵がイメージされる事も多い。現在では極めて有名な絵であるが、江戸時代にはあまり知られておらず、作品についての記録や言及した文献は残されていない。京都の豪商で歌人でもあった糸屋の打它公軌(うだ きんのり? - 正保4年(1647年))が、寛永14年(1637年)からの臨済宗建仁寺派寺院妙光寺(糸屋菩提寺)再興の記念に妙光寺に寄贈するため製作を依頼したとされる。後に妙光寺住職から建仁寺住職に転任した高僧が、転任の際に建仁寺に持って行ったという。
この絵は、画面の両端ぎりぎりに配された風神・雷神が特徴であり、これが画面全体の緊張感をもたらしているが、その扇形の構図は扇絵を元にしていると言われる。三島由紀夫はこれを評して、「奇抜な構図」と呼んだ。風袋を両手にもつ風神、天鼓をめぐらした雷神の姿は、北野天神縁起絵巻(弘本系)巻六第三段「清涼殿落雷の場」の図様からの転用であるが、三十三間堂の風神・雷神像からの影響もしばしば指摘される。しかし、宗達は元来赤で描かれる雷神の色を、風神との色味のバランスを取るため白に、青い体の風神を同じ理由で緑に変える等の工夫を凝らし、独創的に仕上げている。金箔、銀泥と墨、顔料の質感が生かされ、宗達の優れた色彩感覚を伺わせるほか、両神の姿を強烈に印象付ける。特に重要なのは、たらし込みで描かれた雲の表現である。絵の中であまり目立つ存在ではないが、二神の激しい躍動感を助長しつつ画面に空間軸を設定し、平坦な金地に豊かな奥行きを生む役割を果たす[1]。宗達は墨に銀泥を混ぜて使用する事で、同一の画面に墨と金という異質な素材を用いる違和感をなくし、柔らかく軽やかな雲の質感を描き表している。
平成20年(2008年)7月に行われた洞爺湖サミットでは、会議場にこの複製が置かれた[2]。
※素晴らしい出来です
金箔が貼られていて立派です