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最初は半球型の増槽を主翼付け根下面に装備し空中で投棄出来るものではありませんでした。(改良が重ねられ後に空中投棄出来るものに変わっていきました。)
なぜこのような形でこのような位置に装備したかといえば空になった増槽を不時着水時のフロート代わりにしようと考えられていたからでした。
その直後に日本海軍で採用された三菱製九六式艦上戦闘機にも胴体下面密着型のスリッパ型空中投棄式増槽が装備されていました。
後に九六式艦上戦闘機では涙滴型空中投棄式増槽に代わりました。
九六式艦上戦闘機は堀越二郎技師の渾身の作であり現在のステルス戦闘機アメリカのF-22ラプターも真似た可能性が高い主翼の捩り下げも世界で初めて盛り込まれました。
これを最初から継承して誕生したのが九六式艦上戦闘機の後継機となった零式艦上戦闘機=零戦でした。(零戦の場合は空力的にもメカニズム的にもより洗練されたものになっていました。)
そして日本製の他の軍用機でもこれら(涙滴型空中投棄式増槽)を導入することは一般的になりました。
世界の国々でもこれらを真似るかのように増槽を装備するようになりましたが第二次世界大戦の中盤くらいまでは固定式で空中投棄は出来ないタイプがほとんどでした。
ドイツ軍などでもほとんどの場合は空中投棄式ではない固定式増槽が多く増槽による事故も少なくはなかったようです。
なぜ日本だけが増槽開発について進んでいたのかというと当時の日本は主な活動範囲を広大な中国大陸としていたため航続距離延伸はクリアしなければならない問題だったからでした。
それに対しヨーロッパ諸国やアメリカ、ソ連では航続距離延伸にあまり熱心ではなく増槽の開発はあまり進んでいませんでした。
したがって日本が零戦のような戦闘機を自分で作って使っている事実を知ってから零戦を捕獲しその長所を調べ真似たというのもあながち間違いではないかも知れません。
戦争後期になると日本ではジュラルミン節約のため増槽を竹や紙で作るようになりました。(心置きなく使い捨てに出来るようにするためです。)
アメリカなどでも紙で増槽を作るようになりましたがこれは理由が違い敵に金属資源を拾われたくないというセコい考え方からでした。(アメリカの場合はしたたかで燃料注入から一定時間経過すると燃料タンクとしては使えなくなるように作られていました。)
ドイツ軍では自分の領地内で増槽を空中投棄することが多かったため増槽には『これを拾ったら警察や軍へ届けよ、届けた者には10ライヒスマルクを進呈する。』と書いて増槽回収を推進していました。
どこの国にとっても戦略物資の軽金属を捨ててしまうのは勿体ないですからね。
・九五式艦上戦闘機の写真。
・九六式艦上戦闘機の資料。
・九六式艦上戦闘機の写真。
を貼ります。