• 157散華──昭和22年9月1日──kXhadbbetg
    2020/09/01(火) 05:21:27 ID:FDksLXwUO

    木炭バスと言われても、想像もつかない。ただ、故障が多かったとか。
    それでも、その日の故障は最悪だった。

    長崎市の北の入り口、打坂。馬を鞭で打たないと登らない坂という意味らしい。またの名を地獄坂。曲がりくねった道、片側は崖。現在では想像もつかないが、当時の地形図はまさにそうなっている。

    そこで故障。
    ハンドルもブレーキも効かない、最悪の事態。

    バスはずるずると崖に向かって後退していく……。

    若い車掌が飛び降りた。

    近くの石をタイヤに噛ませ、輪止めとするが、三十余の乗客の重みのかかった車体はそれを乗り越えた。
    ずるずると、ずるずると、崖へ。

    しかし、奇跡は起きた。
    何かに乗り上げてバスは止まった。

    ……もう、想像はつくのではないだろうか。降り立った乗客や運転手が見たものを。

    横たわった車掌の体と、それに乗り上げたタイヤ……。

    「息はある!」
    急報を受けた麓の営業所の職員は、軽トラックで現場に向かい、彼を荷台に載せた。
    しかし、炎天下。その息は徐々に弱くなっていく。

    ……結局、助からなかった。

    この勇敢な車掌の名は、鬼塚道男さん。享年、二十一。


    こんな大切なことが長く人々の記憶から消えていた。
    そのことがどうしても信じられない。

    現場に地蔵尊が祀られ、顕彰碑が建ったのも時を経てからだった。

    語る義務があるのではないか?
    知った者には。

    騙りがあってもいいのではないか?
    顕彰のためならば。

    インターネットはその手段となりえないのか?

    今年も語る。
    いつまでも語る。
    間違いを恐れずに。

    涙でぼやける液晶画面にすべてを託す。

    今日も地蔵尊は安全と生活を見守っている。

    生者が怠惰ではいられない。
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