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坂井三郎元海軍中尉の硫黄島での空中戦はヘルキャットの編隊を零戦と思い接近したら敵機に気付かれたんやな。これはガダルカナルでの戦傷で片目が失明情態やったので致し方無いと思うけど、ガダルカナルの時も敵攻撃機を戦闘機と誤認し後方から策敵の機動をとった途端、旋回銃の集中砲火を浴びたんやな。辛くも不撓不屈の精神力でラバウルに帰投したのは特筆に値するけど、これより以降の激化しつつあった米軍機との空中戦に従軍をしていないので、終戦で復員、縁があってか手記をしたため、折からの戦記ブームに乗じ零戦の語り部となったんやな。しかし実相は、零戦21型と7.7ミリ機銃をもって敵機を圧倒した戦争前半の零戦の語り部と言う訳や。いわば米軍機が零戦と格闘戦を挑んでいた時期までの体験談が基となり、そこから20ミリ機銃アカン説と52型改悪説が独り歩きしたのやな。史実ではより高速化した2号艦戦(22型と52型)とそれらに装備された2号20ミリ機銃は敵機に対し有効で1号艦戦、つまり21型の配備は及ばない(要らない)旨の要望が部隊から出ていたんやな。しかしこの時の手記が基となり海軍戦闘機搭乗員と零戦の事細かい操縦要項等の正確かつ精緻な事柄が一般のものとなった功績は大きいものがあるねんな。