盗作を疑われていた零戦
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自衛隊の特殊部隊は‥
M4使ってるんだそうですな‥
基本的に 米軍特殊部隊の装備と同じのようですが‥?
やはり特殊部隊となると‥ 自衛隊装備では心もとないですわな‥
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まぁあれやな、自衛隊の特殊部隊がM4を装備するのは米軍とつるんでのドンパチを想定しとるからやろな。
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いざとなったら米軍から弾薬を供給して貰えるしな。同盟国軍が同一兵器を使用するのは兵站の面からも好ましい事やな。余談ながら帝国陸海軍は用途別に種々様々な兵器を開発し、あげくに陸軍が潜水艦を開発するあんばいで関心するやら飽きれるで、航空機銃も口径が同じでも開発メーカーが異なるから弾薬の互換性も無いのやな。米軍なんかはブローニング12.7ミリ機銃を陸海軍で運用したのは、合理的やったな。
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事実かどうかは判りませんが‥
坂井三郎は‥ 20mm×2丁 7.7mm×2丁 の組合わせより‥ 米軍と同じ12.7mm×6丁の方が効果的と考えていたと言う記事を読んだ事があります‥
日本軍も 12.7mm×6丁を検討した事があったようですが‥ 実現には至りませんでした‥
弾薬の互換性ですが‥
日本には 弾薬やパーツの互換性を持たせて効率良く生産・運用すると言う概念が無かったのか何なのか‥?
弾薬どころか‥ 歩兵の小銃のパーツでさえ‥
同じ形式・同じ年式・同じ工場で造られた全く同じ小銃なのに 一丁一丁まるで手造り品のように微妙に寸法が違い パーツの互換性が無かったそうですな‥?
壊れたから 他から部品取りをするって事が出来ない大量生産品って‥
不思議な物作りしてたんですな‥(汗)
頑固一徹 一品物を丹精込めて作り込む職人みたいな物作りだったんやろか‥?
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零戦搭乗員のエースパイロット坂井三郎氏が米軍機の装備機銃の統一性を羨んでいた話は本当です。
実際に坂井三郎氏が米軍機の統一装備機銃を羨んでいた理由になるような事実がありました。
太平洋戦争末期になり米軍機が日本本土にも頻繁に来襲するようになり米軍の方が明らかに優勢だったにもかかわらず炸裂弾を撃って来る隼にやられたという米軍機の報告が多数寄せられたことがありました。
米軍機のパイロットたちは口々に敵機は隼だったと訴えましたが20mm機関砲を搭載した隼は試作機が作られた程度にすぎずこれは考えられないことでした。
ことの真相は12.7mm機銃を装備した隼でした。
陸軍の隼が装備した12.7mm機銃はブローニングのコピー品でしたが日本側で独自に改良した改良版でありアメリカはもとより他国の12.7mm機銃には炸裂弾がなかったのですが日本の場合は12.7mmの炸裂弾を独自に作り使っていたのでした。
隼の高い空戦能力と直進性が高く装備弾数の多い12.7mm機銃そして炸裂弾を使えるようにした点が非常に有効に働き当時の米軍戦闘機は軒並み2000馬力級エンジン装備の新型機ばかりだったにもかかわらず次々と撃墜されたのでした。
ちなみに零戦がなぜ20mm機関砲搭載をやめ12.7mm機銃多数搭載にしなかったのかというと敵の大型爆撃機を撃墜する目的を念頭から外さなかったからです。
大型爆撃機の場合は20mm機関砲くらいに大きな炸裂弾でないと撃墜が難しかったからです。 -
坂井三郎氏によると通常のケースでいえば7.7mm機銃や12.7mm機銃の場合は装備弾数は多く弾の直進性が高く命中させ易いが炸裂弾がないため穴を空けるだけで撃墜に結び付け難い。
一方で20mm機関砲の場合は装備弾数が少なくなり弾が大きいため炸裂弾もあり命中すれば大型爆撃機でも撃墜が出来るが弾が大きいため直進性が悪く放物線を描きションベン弾になってしまうため命中させるのが難しい。
初心者では命中させるのは非常に難しかった。
とのことでした。 -
まぁ坂井三郎元海軍中尉は、著名な零戦搭乗員ではあるけど、ガダルカナル進攻での戦闘で重傷を負い、それ以降の熾烈な空中戦には参戦する事なく唯一、復帰後の硫黄島上空の迎撃戦でグラマンの編隊を友軍機と誤認し、命からがら逃げ回ったんやな。20ミリ機銃アカン説は零戦が圧倒的優位な時期に装弾数が多い7.7ミリ機銃を有効に使用できたからやな。またこの時期の20ミリ機銃はドラム給弾の九九式1号銃で装弾数が60発と少なく、弾道性も満足できるもんとちゃうかったんやな。これが九九式2号銃になるとベルト給弾式への改良と良好な弾道性により、実戦部隊の評判も良く逐次改良され威力増していき米軍からはキャノン砲と呼ばれ脅威を与えていた訳やな。
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>>37
戦後‥ かつての日米 第二次大戦パイロットが集まってのパーティーだったかで‥
そのグラマンのパイロットの1人から 「あなたを追い回したF4Fのパイロットです‥」 と ご挨拶されて‥
坂井三郎元中尉は‥
「このヘタクソめが‥!!」 と返して 2人で笑いあった と言うエピソードがありますな‥
坂井三郎元中尉は‥ 戦後になって‥
作戦行動中に関わった様々な米国軍人や 空で遭遇した輸送機に乗っていた民間人にまで再開しておりますな‥
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坂井三郎元海軍中尉の硫黄島での空中戦はヘルキャットの編隊を零戦と思い接近したら敵機に気付かれたんやな。これはガダルカナルでの戦傷で片目が失明情態やったので致し方無いと思うけど、ガダルカナルの時も敵攻撃機を戦闘機と誤認し後方から策敵の機動をとった途端、旋回銃の集中砲火を浴びたんやな。辛くも不撓不屈の精神力でラバウルに帰投したのは特筆に値するけど、これより以降の激化しつつあった米軍機との空中戦に従軍をしていないので、終戦で復員、縁があってか手記をしたため、折からの戦記ブームに乗じ零戦の語り部となったんやな。しかし実相は、零戦21型と7.7ミリ機銃をもって敵機を圧倒した戦争前半の零戦の語り部と言う訳や。いわば米軍機が零戦と格闘戦を挑んでいた時期までの体験談が基となり、そこから20ミリ機銃アカン説と52型改悪説が独り歩きしたのやな。史実ではより高速化した2号艦戦(22型と52型)とそれらに装備された2号20ミリ機銃は敵機に対し有効で1号艦戦、つまり21型の配備は及ばない(要らない)旨の要望が部隊から出ていたんやな。しかしこの時の手記が基となり海軍戦闘機搭乗員と零戦の事細かい操縦要項等の正確かつ精緻な事柄が一般のものとなった功績は大きいものがあるねんな。
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米軍機装備のブローニング12.7ミリ機銃は発射速読と弾道性に優れ、戦闘機用機銃として申し文ない性能ではあった反面、重量がエリコン銃より重く、機構的な欠点としてはジャム(弾詰まり)が多発し、特にGのかかる機動で顕著に発生し、このため多銃化する必要性があったんやな。しかし防弾性の低い日本機から見たら遠距離からの的確な機銃掃射は脅威意外の何物でも無かったんやな。しかし戦争後半で防弾性を高めた日本機には威力不足になった感があり、特に特攻機を迎撃する米軍のパイロットからは命中弾を与えててもそのまま突進するので早急に20ミリ機銃の装備して欲しいとの要望が出されたのも事実やな。これにより防弾強固な米軍機、特に重爆に対しては、炸裂弾が装着された20ミリ機銃は非常に有効であった訳やな。また日本海軍はエリコン式20ミリ機銃のスペシャリストであった田中悦太郎特務大尉の尽力によってエリコン社でも実現不可能とされたベルト給弾式に成功して前にも書いた通り紫電改では4丁の20ミリ機銃装備により、一定水準の熟練度の搭乗員であれば的確な射撃が可能となり米海軍の戦闘機部隊より日本海軍に新型戦闘機出現。ヘルキャットやコルセアでは危険なレベルなので早急なベアキャットの部隊配備の要求が出されたんやな。まぁ実際にはその頃の日本海軍は兵站がガタガタになり、熟練搭乗員不足もあって米軍機を圧倒するのは不可能やったけどな。ほんでやけど結論としては、米軍にはブローニング機銃が日本海軍にはエリコン機銃がそれぞれ不可欠な航空機銃であり優劣の判定は難しいと思うけどどやろな。特筆すべきは両機銃共に原型の誕生から90年近くになるのにいまだに現役で装備されとる事やな。
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今尚、盗作だと信じたままでいる欧米人も一部にはいます。
当初、欧米人は日本人が零戦を作ったこと自体を信じずその存在自体が嘘だと信じていました。
しかし太平洋戦争の緒戦でアジア太平洋地域の空から自分たち欧米人の作った飛行機がことごとく叩き落とされてしまった時に初めて日本人が本当に零戦という自分たちにはない飛行機を作り大量使用している現実を認めざるを得なくなりました。
それでも日本人の力なのだと認めたくない欧米人、日本人に対し人種差別とも言える差別偏見を捨てきれない欧米人は零戦はアメリカのVought V-143の盗作だ!イギリスのGloster F.5/34の盗作だ!などと言って真実を認めたがらなかったようです。
その名残は今も一部の欧米人に根強く残っているのも否定出来ません。
アメリカにとっては「ゼロ・ショック」でしたからね。
普通どこの国の軍隊でも敵前逃亡は銃殺の対象ですが当時のアメリカ軍では零戦と遭遇した場合は特例で逃げていいと言われていたくらいでしたからね。
参考写真を貼りますが皆さんの目から見て似て見えますか?