• 104名無しさん
    2016/08/07(日) 12:51:16 ID:AuM8t4qoO
    世界の代表的な航空技術の流れはそのような感じであり朝鮮戦争やベトナム戦争を通してアメリカ軍にとっての日本はアジアでの前線基地(他に類を見ない世界で最も使い勝手の良い一大兵站整備拠点基地)でありその関係からアメリカの意向を強く受けた日本では警察予備隊⇒保安隊⇒自衛隊が発足し、また一方では朝鮮戦争関連、ベトナム戦争関連の軍用兵器の整備や部品生産が日本で行われるようになり徐々に日本も再び軍用機などに関わる結果となりました。
    やがて自衛隊が出来たこともあり細々と自衛隊向けオンリーの軍用兵器の開発生産も行われるようになり国産ジェット戦闘機の開発も試みられるようになりました。
    その最初が三菱F-1支援戦闘機でした。
    三菱F-1支援戦闘機は三菱T-2超音速高等練習機を最初に開発してそれをベースにして戦闘機に仕立てたものでした。
    フル国産を目指したはずでしたが大事な時期10年あまりに及ぶ航空機禁止令の悪影響で技術的ブランクが大きすぎジェットエンジン自体は国産開発とすることが出来ずヨーロッパからイギリス/フランス共同開発のジェットエンジンを購入するしかありませんでした。
    悔しい話ながら結局F-1支援戦闘機は完全なる国産開発の戦闘機とは言えない結果となってしまいました。

    ・三菱T-2超音速高等練習機(二代目アクロバット飛行隊ブルーインパルス塗装)の写真。


    ・三菱F-1支援戦闘機の写真。


    を貼ります。
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