• 39名無しさん
    2016/06/13(月) 09:00:44 ID:vzGPZvzQO
    第二次世界大戦終結後の世界情勢は世界が二つの陣営に分かれて威嚇し合う東西冷戦の時代となりソ連を中心にした共産主義諸国(東側陣営)は軍事情報を外に出さないようにする動きが特に厳しくなりました。
    ソ連を中心にした秘密主義の動きは鉄のカーテンと呼ばれました。
    名付け親はイギリスの元首相だったウィンストン・チャーチルでアメリカでの演説の際に鉄のカーテンという言葉を使ったのが始まりだといわれています。
    その後この言葉は世界中に広まりました。
    当然MiG-25に関する情報も鉄のカーテンで隠されていたため噂が噂を呼び想像が積み重ねられソ連は物凄く強力な戦闘機を開発しているに違いないということになっていきました。
    そういう世界情勢があったため日本の函館にMiG-25が亡命のために強行着陸した時は大きな話題となりました。
    当然最新戦闘機の詳細情報を一つたりとも西側諸国に知られたくないソ連は機体の返還を迫って来ました。
    ここでも噂が噂を呼び早く返さないとMiG-25を取り返すために北海道にソ連軍が攻めて来るぞという話もまことしやかに囁かれました。
    そんな中いつまでも返還しないでいるわけにはいかないので限られた短い期間の中でアメリカ軍と自衛隊は大急ぎで詳細を出来るだけ調査してからソ連へ返還しました。
    そこから今まで秘密のベールに包まれていたMiG-25に関するさまざまな事実が知られるところとなりました。
    機体のほとんどは鉄で作られていることや機体は前方からのGには強いものの横方向からのGには弱いこと強力なエンジンは高高度での高速飛行では効率良く動くものの中高度低高度での飛行や中低速度域では非常に効率が悪いことスピードメーターはマッハ2.83以降からレッドゾーンが刻まれていること(マッハ2.83までが安全保証速度であること)などなどが世界中に知られることとなりました。
    それまでアメリカは自分たちが開発したF-15イーグルとソ連のMiG-25が対決した場合はMiG-25に圧倒されて惨敗するのではないかというふうに思い込んでいましたが実際蓋を開けてみたら上記の通りでした。
    まあ、それはそうでした。
    だいたいソ連としては核爆弾を抱えたアメリカ軍のXB-70バルキリーがマッハ3もの高速で飛来するのをいち早く迎え撃つために高速迎撃機としてMiG-25を取り急ぎ開発していたわけでアメリカ軍のF-15イーグルと空中戦をさせる目的でMiG-25を開発していたわけではなかったから特性が大きく異なっていたということでした。
    アメリカをはじめ世界の国々は心配し過ぎていたということでした。
    当のXB-70バルキリー戦略爆撃機は2機試作機が作られただけで開発中止となったためライバルを失ったMiG-25は肩透かしを喰らった形になりましたが当時のミサイルでは撃ち落とせず他国のどの戦闘機からも逃げ切れるその抜群の高速性能をかわれ偵察機としても活用され友好国へは輸出もされました。
    マッハ3もの高速性能は確かに凄い技術だったのですが最高速度をどんどん上げて達成していくことはこの当時の世界的な流行のようなものでありしかし技術を達成してみるとそんなに多用途に有効活用出来る代物でもなく実際にはメリットよりもデメリットの方が多かったため現在ではマッハ3もの高速性能を出せる戦闘機を新たに開発しようとする国は一つもありません。
    世界的な戦闘機作りの流行が大きく変わったということだと思います。
    現在では高速性能はあまり重要視されずマッハ1.8〜2.5程度あれば十分だと認識されていて高速性能達成に多大な労力を割くくらいなら運動性や電子装備、ステルス装備の充実に力を注ぐ傾向にあります。


    MiG-25の写真2枚とMiG-25に搭載されていたツマンスキーR-15ターボジェットエンジンの写真を貼ります。
    0 0
  • 40名無しさん
    2016/06/13(月) 14:47:42 ID:vzGPZvzQO
    MiG-25 FoxbatのツマンスキーR-15ターボジェットエンジンの巨大さが良くわかる写真2枚とMiG-25 FoxbatのCutawayを貼ります。


    ノズル部分には大の大人がご覧のように入れるほど大きいです。
    MiG-25はマッハ3という超高速飛行を目標に作られた迎撃戦闘機でしたからさながら巨大なジェットエンジン2基をメインにその他の部分を付け足したかのような航空機でした。
    0 0
  • 41名無しさん
    2016/06/13(月) 23:10:43 ID:vzGPZvzQO
    アメリカでもマッハ3級のロッキードSR-71戦略偵察機を実用化していましたがアメリカはチタニウムの加工技術を持っていたためチタニウムを使用して製造していました。
    ロッキードSR-71戦略偵察機はU-2高高度偵察機の後継機で第一世代ステルス機とも呼ばれ前面投影面積を小さくして一部で電波吸収剤や鋸構造を取り入るなどしていました。
    また発火し難い燃料を使い機体パネルは地上では隙間があるが飛行状態の時は周りからの圧力と熱膨張により隙間がなくなる構造となっており離陸前は燃料じゃじゃ漏れ状態で離陸後に上空で空中給油機から給油を受け燃料満タンにしてから任務に出発するという運用をしていました。
    だから空中給油機が必要不可欠な戦略偵察機でした。
    機体表面が何故か一部濡れている写真が多いのはそれが理由です。
    それから使用していた特殊燃料は冷却液のような役割も持たせてあり複数搭載された燃料タンク内を移動させ循環させる構造になっていました。


    ・ロッキードSR-71戦略偵察機の写真


    ・ロッキードSR-71戦略偵察機の三面図


    ・ロッキードSR-71戦略偵察機の構造図


    を貼ります。
    0 0

北海道

沖縄

人気の記事