• 44名無しさん
    2017/11/20(月) 12:43:18 ID:ebV5y6hQO
    ↑でも第二次大戦当時の話としてイタリアの客船ローマを改造し建造していた空母アクィラの話を書き、日本でも同じような話はあったことを書きました。
    またこのようなことはイタリアや日本だけのことではなく世界各国で行われていたという話も書きました。戦争に飛行機という物が登場したのは第一次大戦でした。
    出現当初は敵情を偵察したり究めて少量の爆弾を落とす程度の使い道しかない兵器でした。
    しかしそんな飛行機も時代の進展とともに進化を積み重ね爆撃機、攻撃機、戦闘機へと専門分野別に枝分かれしていきより強力な兵器へとなっていきました。
    そんな経緯でしたから飛行機が戦争の勝敗を決定付ける存在になるなんて信じる人はほとんど居ませんでした。
    例えば飛行機が戦艦を沈めるなんて有り得ない。などなど
    これが世界中の常識となっていました。
    長い間世界中の人々の間では大きな大砲をたくさん搭載した大きく強力な戦艦をたくさん持った国が一番強い国だと思い込んでいました。
    しかし第二次大戦が始まり実際に戦ってみると陸でも海でも上空の支配権を握った国が勝利を手にするという結果が相次ぎました。
    その結果を受けてそれまでは戦力として期待もされず実験兵器か補助兵器程度にしか思われていなかった空母に注目が集まりました。少なくとも第二次大戦の初期まで世界中の人々は飛行機より大砲だと思い込んでいました。
    大艦巨砲主義に傾き過ぎていた日本もその代表国であり世界最強戦艦を目指した大和級戦艦がその象徴みたいな存在です。
    それでも日本では幸いにも飛行機や空母の実力を見抜きその開発を支持する先見性のある人々が一部に居たため同時並行的に空母戦力の拡充も図られていました。
    しかしミッドウェイ海戦で空母4隻と航空機360機前後を一挙に失ったことは相当な痛手となり日本の防衛のためには早急にこれを補う必要性に迫られました。
    貨客船を改造して空母にする考え方はそれ以前からありましたがミッドウェイ海戦での大敗北はその考え方に拍車をかけることとなり軍の船、民間の船を問わず大型の船舶は空母に改造出来ないかという対象となり敗戦間際では重巡洋艦として建造中だった船まで急遽空母へ改造されたりしていました。
    軍艦である空母に要求される能力はもちろん海上航空基地の役割である空母としての航空機運用が出来ること出来るだけ大きいこと機動部隊として使う関係上巡洋艦程度の高い速力(30〜35ノット程度)が必要とされていました。
    貨客船改造空母の場合は出来るだけ大きいことと航空機運用能力は問題ないだろうと思われていましたが元が貨客船だと元々の速力が遅い(せいぜい20〜25ノット程度)場合が多く機動部隊としての行動能力は劣ることになりました。
    イタリアの貨客船改造空母アクィラの場合は最大速度30ノットを予定していたそうですがなにぶんにも初めての空母だっただけに空母としての基本的能力には疑問符が付きます。
    一方日本の隼鷹級空母の場合は世界的にも空母の誕生時期の最初から空母開発に努力していた日本が作っただけに空母としての完成度は究めて高く出来ていました。
    日本独自の長年の研究による成果、右舷艦首寄りに配置された艦橋(俗にアイランドと呼ばれる島型艦橋)、艦橋と一体化され26度外側に傾斜させた煙突(正規に建造された装甲化飛行甲板を持つ空母大鳳や大和級戦艦3番艦から改造された空母信濃の艦橋と煙突の配置のための試験艦的役割も果たしていました。)や電波探信儀(レーダー)や高角砲や機銃の装備、エレベーターの配置など貨客船改造空母とは思えないほどの高い完成度の近代空母でしたが速力だけは遅くそれが唯一の短所でした。


    添付資料は日本郵船の貨客船橿原丸(かしはらまる)の画像。
    貨客船橿原丸から改造され空母となった隼鷹(じゅんよう)の写真。
    空母隼鷹と大鳳と信濃の比較模型写真。艦上構造物の形状配置がそっくりです。

    隼鷹級空母は隼鷹の他に姉妹艦(同型艦)として同じく日本郵船の貨客船出雲丸(いずもまる)から改造され空母になった飛鷹(ひよう)がありました。
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