ステルス機
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一方、昔も今もアメリカのライバルであるロシアは三次元式推力偏向ノズル付きエンジン搭載のスホーイSu-35Sを中国に売っても中国はおいそれとそれをコピーすることは無理だと言い切る余裕を見せる状況。
三次元式推力偏向ノズル付きエンジン搭載の高機動性を備えた戦闘機はスホーイSu-35Sだけではなく他に別のエンジンを搭載した別の機種ミグMiG-29OVTなども既に完成させている状態。
1990年前後からの航空ショーでは世界各国でこれらを飛行させてまわりその技術力を派手に宣伝してまわっていました。(しかし一般に披露していなかっただけで既にアメリカも同様の技術は実験済みで完成されたものを持っていました。それがあったため後のF-22ラプター開発に直ぐに活かされました。)
しかも1990年代には既にミグMiG-1.44というステルス機を完成させており更に2010年にはスホーイT-50というステルス戦闘機を初飛行させテストを重ね現在では実戦配備に向けて進んでいるところです。
アメリカのライバルに相当するロシアは中国に対しかなりの技術力的格差を付けていることが如実にわかる現実です。
・ミグMiG-29OVTが搭載するクリモフRD-33三次元式推力偏向ノズル付きターボファンエンジン
・ミグMiG-29OVT
・三次元式推力偏向ノズルを活かした急機動でアクロバット飛行を披露するミグMiG-29OVT
を貼ります。 -
旧ソ連だった東西冷戦時代は一党独裁のソ連共産党政府に気に入られ優遇されていたミグ(ミコヤン&グレビッチ通称MiG)記念設計局。
お気に入りだったため何かと優遇されてもてはやされていました。
そのため主力に抜擢される戦闘機の採用はミグ製のものが圧倒的に多かった。
しかしソ連崩壊後はミグよりスホーイの方が力をつけるようになり現在に至っています。
ソ連時代の末期にミグが開発していた戦闘機がMiG-29フルクラム、スホーイが開発していたのがSu-27フランカーでした。
西側諸国にこの事実が確認されたのは1970年代の終わり頃で軍事衛星による偵察写真でも開発中の機体が確認されました。
どちらもツァギ流体力学研究所からの研究データの情報をもらいそこに独自研究データを加えて開発していたため類似する部分がたくさんあります。
ソ連崩壊後は外貨獲得の手っ取り早い有効手段として兵器輸出に力が入れられました。
中でも戦闘機は一番の有力商品でした。
似た部分が多く能力も似通っていた両機種でしたがMiG-29の方は局地戦闘機的性格が強く僻地の未整備地域でも取り扱いし易い半面、小柄なため搭載量が少なく航続距離も短いものでした。
Su-27の方は制空戦闘機的性格が強く大柄だったため搭載量も多く航続距離も長いものとなりました。
結果として汎用性が高いSu-27の方が世界的にも人気者となりました。
しかし戦闘機としての格闘戦能力はMiG-29もなんら劣るわけではありません。
MiG-29OVTの高機動飛行映像を貼ります。 -
↑のMiG-29OVTの機動性の良さときたらクルビットと呼ばれる前進しながら後方宙返りする機動などは何回転も繰り返せるという凄さ、反面ではまるで生き物のようなノズルの動きは気持ち悪さすら覚えます。
貝の吸入管の動きにそっくりです。
ソ連/ロシア軍の考え方としては国土が途方もなく広い国である国情から国防のためには僻地にも航空基地を設ける必要性があり僻地ともなれば資材の運搬や建設費用などを考えると十分に整備された航空基地を備えるのは困難なため滑走路なども西側諸国に比べると粗悪になり綺麗に舗装された滑走路は少なくなる傾向にありました。
そのような国情を考慮に入れ設計されたMiG-29は地上滑走の際は通常の空気取り入れ口を閉じ機体上面に特別に設けているサブの空気取り入れ口から空気を取り入れ離陸するという凝ったギミックまで備えて開発されました。
理由は未舗装の滑走路が少なくないため地上滑走の際にゴミや石ころを吸入してジェットエンジンが壊れてしまうのでそれを防止する防止策でした。
ライバルであるスホーイSu-27に比べると現在は人気はイマイチですが小さくても良く作り込まれた高性能戦闘機なのです。
ミグMiG-29とスホーイSu-27が並ぶ写真を貼ります。
全体のフォルムは非常にそっくりながら良く見ると各部には個性があります。
ミグMiG-29の方がエンジンからの排気が心なしか黒いですね。 -
当然のことながら歴史はすべて繋がっているためステルス機が生まれるためにはそれに繋がる前の技術がありました。
現在ステルス戦闘機と呼ばれているものは第五世代戦闘機とも呼ばれています。
第五世代戦闘機を生み出す下地となった第四世代戦闘機にあたるのがアメリカのF-14、F-15、F-16、F-18の各戦闘機、ソ連/ロシアのMiG-29、Su-27の各戦闘機ということになります。
これらの戦闘機に後付けの新技術を導入し限定的なステルス性能を持たせたものが第四++世代戦闘機と呼ばれています。
ソ連/ロシアの第四世代戦闘機が誕生するきっかけとなったのは遡ればマッハ3のスピードが出せるとして世界中から脚光を浴びたMiG-25が意外にもスピード以外は戦闘機として使い物にならない代物だったことでした。
アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争とソ連製ミグ戦闘機に手痛くやられたトラウマがあり対応策としてのF-14、F-15、F-16の開発に力を注ぐと共にマッハ3のスピードが出せて核攻撃が出来るXB-70バルキリー戦略爆撃機を開発中でした。
ソ連はXB-70なんて爆撃機を保有されたらたまったものではないと思い急いで迎撃機としてのMiG-25を開発しました。
急いで開発したためスピードはマッハ3級でしたが旋回時の横G強度などは民間旅客機程度と低くとても戦闘機として格闘戦が出来る代物ではありませんでした。
時代はソ連の鉄のカーテンと呼ばれた時代だったため情報は秘密のベールに包まれておりアメリカはこのMiG-25に対し高速で強力な戦闘機だという妄想からそれをやたらと宣伝しまくりました。
そのせいで世界中にそのイメージが定着してしまいましたが実はMiG-25がスピードはピカイチながら格闘戦に不向きということを一番良く熟知していたのはソ連自身という形になってしまいました。
そのためアメリカのF-14、F-15、F-16の各戦闘機に対抗しうるMiG-29、Su-27の各戦闘機を急いで開発する必要性に迫られることになりました。
世界最速の高性能戦闘機と世界中から恐れられていたソ連のMiG-25は1976年に亡命のためベレンコ中尉がMiG-25に乗って函館へ強行着陸したことにより秘密のベールが剥がされていくこととなりました。
当時のソ連にとってMiG-25は最新戦闘機でありその詳細が外国に知られることはあってはならないことでしたから凄い剣幕で返還要求していました。
しかし内緒でアメリカ軍と自衛隊が詳細を調べてから返還したようです。
マッハ3もの高速を出せば機体表面が加熱されるため当初はチタニウムが大量使用されているだろうと思われていましたが実際にはスチールが使用されていてその重さに対応するために車輪は大きく低圧タイヤを使っていました。
大急ぎで開発されたことを物語るものでした。
・XB-70バルキリー戦略爆撃機
・F-14、F-15、F-16の各戦闘機
・MiG-25防空戦闘機
の写真を貼ります。 -
MiG-25の機体材質についてなぜチタニウムが大量使用されているであろうと予想されていたかといえばマッハ3級を目指して開発されていたためそれほどの高速を出すと大気との摩擦により機体表面が燃えるか溶けるかの可能性が高くなります。
そうならないようにするにはジュラルミンより耐熱性の高い材料を使う必要性があり鉄だとジュラルミンより耐熱性は高いものの重くなってしまいます。
鉄より軽くジュラルミンより耐熱性が高い材料はといえばチタニウムが一番有望だったからでした。
しかし加工には技術力が必要で当時のソ連ではその加工技術が未熟だったため機体が重くなることには目をつぶって手っ取り早く鉄を材料に選んだというのが最終結論でした。
函館に亡命飛行したベレンコ中尉機により真実がわかった時にはソ連は鉄で作った戦闘機をマッハ3のスピードで飛ばしていたのかと世界中が驚きました。
材料代と加工代は安くあがるでしょうが鉄ですからね、鉄ですよ。
いかにもロシア人らしい粗削りで豪快な考え方です。ベレンコ中尉の弁によればMiG-25は高速高性能戦闘機だと信じられていたようだが高空で高速飛行する時以外は飛行特性が悪く特にエンジンが高速専用に作られていたので函館に強行着陸するまでは燃料がもつかきがきではなかったといいます。
このMiG-25高速飛行中は機体が高温になるため冷却用に純度の高いアルコールを搭載していてロシア人パイロットたちの間ではアルコール運搬機とあだ名されていました。
また寒い気候の国ロシアではウォッカが無くなった時はこの冷却用のアルコールを飲んでしまう兵士も居たといわれています。
それからソ連は共産党が一党独裁の国でしたから共産党中央政府の権限が物凄く強くその命令は絶対であり開発指示内容から開発目標達成や開発納期まで守れなかった担当関係者は軒並み処罰(本人含め家族親類まで最悪の場合は身分は剥奪され処刑、そうでなくても何年間も苛酷な強制労働です。それでも死なず生きていた場合は共産主義の再教育という試練が待っていました。今でも同じく共産党一党独裁の北朝鮮では普通に行われています。)が待っていました。
計画失敗や目標未達は処罰されることを意味していました。
だからみんな処罰されるのを恐れ大急ぎで作ることが多くそのためソ連時代のほとんどの戦闘機を含む軍用機は同じ時代の欧米機に比べ曲線部分が極端に少なく直線的デザインばかりでした。
ソ連共産党中央政府の力が衰え始めたソ連時代末期に開発されたMiG-29、Su-27あたりからそのデザインは一変し一気に欧米機と見紛うばかりの曲線部分の多いデザインとなり現在に至っています。
何の分野でも共産党中央政府の命令を守れない者には処罰処罰処罰でしたからベレンコ中尉やその他大勢のロシア人たちが母国を捨ててでも亡命したくなった気持ちもわかると思います。しかし極端にスピードに特化したMiG-25でしたがこのような経緯で開発されただけにスピードだけはピカイチで中東地域上空でイスラエル軍のF-4ファントムⅡにミサイルを発射されたシリア軍のMiG-25はその追って来るミサイルをどんどん引き離し飛び去って逃げ切ったという実話を残しています。
現在のミサイルではミサイル自体のスピードがかなり上がって機動性も極端に上がってますからこんな芸当はもう無理でしょう。
MiG-25の写真を2枚貼ります。 -
第二次世界大戦終結後の世界情勢は世界が二つの陣営に分かれて威嚇し合う東西冷戦の時代となりソ連を中心にした共産主義諸国(東側陣営)は軍事情報を外に出さないようにする動きが特に厳しくなりました。
ソ連を中心にした秘密主義の動きは鉄のカーテンと呼ばれました。
名付け親はイギリスの元首相だったウィンストン・チャーチルでアメリカでの演説の際に鉄のカーテンという言葉を使ったのが始まりだといわれています。
その後この言葉は世界中に広まりました。
当然MiG-25に関する情報も鉄のカーテンで隠されていたため噂が噂を呼び想像が積み重ねられソ連は物凄く強力な戦闘機を開発しているに違いないということになっていきました。
そういう世界情勢があったため日本の函館にMiG-25が亡命のために強行着陸した時は大きな話題となりました。
当然最新戦闘機の詳細情報を一つたりとも西側諸国に知られたくないソ連は機体の返還を迫って来ました。
ここでも噂が噂を呼び早く返さないとMiG-25を取り返すために北海道にソ連軍が攻めて来るぞという話もまことしやかに囁かれました。
そんな中いつまでも返還しないでいるわけにはいかないので限られた短い期間の中でアメリカ軍と自衛隊は大急ぎで詳細を出来るだけ調査してからソ連へ返還しました。
そこから今まで秘密のベールに包まれていたMiG-25に関するさまざまな事実が知られるところとなりました。
機体のほとんどは鉄で作られていることや機体は前方からのGには強いものの横方向からのGには弱いこと強力なエンジンは高高度での高速飛行では効率良く動くものの中高度低高度での飛行や中低速度域では非常に効率が悪いことスピードメーターはマッハ2.83以降からレッドゾーンが刻まれていること(マッハ2.83までが安全保証速度であること)などなどが世界中に知られることとなりました。
それまでアメリカは自分たちが開発したF-15イーグルとソ連のMiG-25が対決した場合はMiG-25に圧倒されて惨敗するのではないかというふうに思い込んでいましたが実際蓋を開けてみたら上記の通りでした。
まあ、それはそうでした。
だいたいソ連としては核爆弾を抱えたアメリカ軍のXB-70バルキリーがマッハ3もの高速で飛来するのをいち早く迎え撃つために高速迎撃機としてMiG-25を取り急ぎ開発していたわけでアメリカ軍のF-15イーグルと空中戦をさせる目的でMiG-25を開発していたわけではなかったから特性が大きく異なっていたということでした。
アメリカをはじめ世界の国々は心配し過ぎていたということでした。
当のXB-70バルキリー戦略爆撃機は2機試作機が作られただけで開発中止となったためライバルを失ったMiG-25は肩透かしを喰らった形になりましたが当時のミサイルでは撃ち落とせず他国のどの戦闘機からも逃げ切れるその抜群の高速性能をかわれ偵察機としても活用され友好国へは輸出もされました。
マッハ3もの高速性能は確かに凄い技術だったのですが最高速度をどんどん上げて達成していくことはこの当時の世界的な流行のようなものでありしかし技術を達成してみるとそんなに多用途に有効活用出来る代物でもなく実際にはメリットよりもデメリットの方が多かったため現在ではマッハ3もの高速性能を出せる戦闘機を新たに開発しようとする国は一つもありません。
世界的な戦闘機作りの流行が大きく変わったということだと思います。
現在では高速性能はあまり重要視されずマッハ1.8〜2.5程度あれば十分だと認識されていて高速性能達成に多大な労力を割くくらいなら運動性や電子装備、ステルス装備の充実に力を注ぐ傾向にあります。
MiG-25の写真2枚とMiG-25に搭載されていたツマンスキーR-15ターボジェットエンジンの写真を貼ります。 -
MiG-25 FoxbatのツマンスキーR-15ターボジェットエンジンの巨大さが良くわかる写真2枚とMiG-25 FoxbatのCutawayを貼ります。
ノズル部分には大の大人がご覧のように入れるほど大きいです。
MiG-25はマッハ3という超高速飛行を目標に作られた迎撃戦闘機でしたからさながら巨大なジェットエンジン2基をメインにその他の部分を付け足したかのような航空機でした。 -
アメリカでもマッハ3級のロッキードSR-71戦略偵察機を実用化していましたがアメリカはチタニウムの加工技術を持っていたためチタニウムを使用して製造していました。
ロッキードSR-71戦略偵察機はU-2高高度偵察機の後継機で第一世代ステルス機とも呼ばれ前面投影面積を小さくして一部で電波吸収剤や鋸構造を取り入るなどしていました。
また発火し難い燃料を使い機体パネルは地上では隙間があるが飛行状態の時は周りからの圧力と熱膨張により隙間がなくなる構造となっており離陸前は燃料じゃじゃ漏れ状態で離陸後に上空で空中給油機から給油を受け燃料満タンにしてから任務に出発するという運用をしていました。
だから空中給油機が必要不可欠な戦略偵察機でした。
機体表面が何故か一部濡れている写真が多いのはそれが理由です。
それから使用していた特殊燃料は冷却液のような役割も持たせてあり複数搭載された燃料タンク内を移動させ循環させる構造になっていました。
・ロッキードSR-71戦略偵察機の写真
・ロッキードSR-71戦略偵察機の三面図
・ロッキードSR-71戦略偵察機の構造図
を貼ります。 -
アメリカのロッキードSR-71は通称ブラックバードと呼ばれ敵戦闘機や敵の対空ミサイルに捕捉されないようにマッハ3の超高速によってそれらの危険から逃げ切れるようにということを目指して開発された戦略偵察機でした。
現在のように軍事用偵察衛星の偵察能力と偵察精度が上がるまではこのロッキードSR-71がその任務を担っていました。
上からもしくは下から見た場合は異様に巨大な姿に見えるのですが前からもしくは後ろから見えるとこのロッキードSR-71もまたエンジンがほとんどの容積を占めていてそこに燃料搭載スペースとパイロットの搭乗スペースとその他のもののスペースが付け足されたかのような極端な作りとなっています。
ソ連が開発したMiG-25の場合は二次元式空気取り入れ口を採用していましたがアメリカのロッキードSR-71の場合は運用実績から信頼性があり確実性が高いショックコーンを備えた円筒型の空気取り入れ口を採用していました。
ソ連側でいえばMiG-21戦闘機の時代に採用されていた技術と類似した構造の技術です。
さまざまな新技術を投入しながらもこれまでおこなったことのないマッハ3で飛行出来る戦略偵察機という開発プロジェクトを失敗させず確実に成功に導きたいというアメリカ側の思いがこもった安全策的選択だったのだと思われます。
そういう内容を引っくるめて総合してみるとロッキードSR-71という航空機は材料技術から加工技術、形状構造技術から何から何まで計算された機体パネルの隙間やシーリング技術、空気との摩擦による熱に対する耐熱技術や冷却技術などなども含め現在の最新技術であるステルス技術にも合い通じる技術の結晶体だったといえます。
ちなみにロッキードSR-71のパイロットは通常の格好ではなくほとんど宇宙飛行士と同じ宇宙服のような装備の格好でロッキードSR-71に乗り操縦していました。
離陸するロッキードSR-71の写真と使用されていたプラット&ホイットニーJ-58ターボジェットエンジンの資料とエアフローの資料を貼ります。 -
補足ですが…
アメリカのこのロッキードSR-71戦略偵察機はその前作だったロッキードU-2高高度偵察機がソ連の地対空ミサイルによって撃墜されたことの反省から生まれたものでした。
歴史を遡れば第二次世界大戦中にドイツ軍はユンカースJu-86という無武装の双発偵察機を使いイギリス本土上空を我が物顔で偵察していました。
なぜこんなことが可能だったかといえばこのユンカースJu-86という偵察機は空気の薄い高高度の高空でもエンジンに送る空気を強制的に濃く圧縮するため専用の小型発動機を搭載していたため当時の世界中の戦闘機の性能ではとてもじゃないが上がって来れない14800mもの高空を飛んでいたからでした。
敵機は見えてはいるのに攻撃出来ないという状況でした。
このドイツ軍の考え方を第二次世界大戦後に真似たのがアメリカのロッキードU-2高高度偵察機でした。
しばらくの間はソ連に対し有効に偵察出来ていたのですがソ連も馬鹿じゃない高高度まで届く地対空ミサイルの新型を実戦投入し結果的にはロッキードU-2高高度偵察は撃墜されてしまいパイロットはソ連側に捕まるという大失態となってしまいました。
その反省に立ち敵に撃墜されない偵察機として新たに開発されたのがロッキードSR-71戦略偵察機でした。
ちなみに退役するまでの間ロッキードSR-71戦略偵察機は1機も撃墜されていません。
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双発エンジンに双垂直尾翼という姿であるため比較する対象物がない単機状態では一見大柄な機体であるかのように見えますが世界各国が開発しているステルス機の大きさに比べれば1番小柄な小さい機体となります。
F-16戦闘機かF-2戦闘機程度とかなり小型の機体です。
何時になるんだ?何時になるんだ?と多方面でささやかれていた日本製ステルス機の実機の初飛行はいよいよ来月2月の中旬になる予定です。