盗作を疑われていた零戦
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無礼者
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一般的に「零戦」と呼ばれるこの戦闘機は正式には零式艦上戦闘機と呼ばれ当時の日本海軍では西暦ではなく皇紀2600年にあたる年に正式採用された艦上戦闘機(航空母艦に搭載して使用する戦闘機)であるため2600年の末尾をとって零式艦上戦闘機と名付けられています。
当時のアメリカ軍では零戦各型のほとんどをゼロもしくはジークというコードネームを名付けて呼び零戦三二型のみなぜかハンプと呼んでいました。
欧米人が作る戦闘機を超える高性能戦闘機を日本人が作れるはずは絶対にないと信じて疑わなかった当時のアメリカ軍は太平洋戦争緒戦に太平洋地域の空から欧米製戦闘機を駆逐し尽くしてしまった零戦の存在に大変なショックを受けるとともに零戦に対し異常なまでの興味を示し飛行可能な零戦入手に血眼になりました。
その後日本がアリューシャン攻撃を行った後にアリューシャン列島のアクタン島の湿地帯に不時着していた零戦二一型を発見しそれをオーストラリアはブリスベンにあるイーグルファーム空軍基地内ハンガー7に運び込み飛行可能な状態にまで修復し徹底的な調査をして当時アメリカ軍が使用していた戦闘機たちとの模擬空中戦を繰り返しその後の対零戦戦術に活かしていきました。
零戦のライバルはアメリカ海軍のグラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機だと言われることが圧倒的に多いのですがアメリカ軍にとってグラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機は只の間に合わせ戦闘機にすぎず、零戦を徹底分析した成果を活かし設計した本当の対零戦用戦闘機として投入しようとしていた戦闘機はグラマンF8Fベアキャット艦上戦闘機でした。
しかし幸か不幸かグラマンF8Fベアキャット艦上戦闘機はアメリカ海軍の航空母艦に搭載され日本への攻撃に向かっている最中に太平洋戦争は終戦となり零戦と戦うことは出来ませんでした。
グラマンF8Fベアキャット艦上戦闘機は零戦のエンジンの二倍のパワーがあるエンジン(グラマンF6Fヘルキャットとほぼ同じ)と徹底的に軽量化された機体(徹底分析した零戦の良い部分を取り入れた機体)を組み合わせた戦闘機で本当の意味でのアンチ零戦用戦闘機でした。 -
そこで簡単に言える単純な事実として…零戦がもしも欧米製戦闘機の盗作であったならアメリカがそんなにショックを受ける必要はないし零戦を血眼になって入手して徹底分析する必要なんてなかったはずという事実。
欧米製戦闘機の盗作と言われた零戦の元になるベースの戦闘機をアメリカ人やイギリス人が持っていたのなら慌てる必要もなければ今さらという感じで徹底分析する必要性もなかったはずだということですな。 -
日本軍に比べ潤沢な資金、設備、人材を投入して入手零戦を修復し徹底分析を行った当時のアメリカ軍でしたが零戦に施されていた捩り下げという技術には気が付かずその技術に気が付いたのは戦後しばらく経ってからでした。
盗作疑惑をかけておきながら実物を徹底分析したにもかかわらず零戦を完全解明出来なかったというお粗末さ。
こういうお粗末な結果を招いた原因はひとえに日本人への根強い偏見差別意識がそうさせたと言っても言い過ぎではないでしょうね。
その偏見差別意識は今も尚存在していることを忘れてはいけません。 -
零戦の盗作疑惑はけっこう有名な話ですな
まあ似てるといえば似てるとは思うけど…
ところで>>2の画像の機体は何ですかね
零戦でもないし、敢えて言えば隼かと思うけど、カウルがなんか変だし、コメントも何に対しての無礼者なのかわからないし…
意味不明ですね
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>>2
番の名無しさんの画像は平成19年公開の映画「僕は君のためにこそ死にゆく」撮影用 陸軍一式戦闘機 隼二型の機体です。
この隼は後期型で海軍の零戦であれば栄二一型にあたる発動機に換装された改良型をモデルとして再現されているので排気管が多数側面から出ています。
多数側面から出ている排気管はロケット推力式排気管と呼ばれるものです。
映画自体は実話を元に石原慎太郎氏が書いたストーリーで多くの特攻隊員が出撃前に宿泊していた知覧の旅館の女将にまつわるストーリーらしいです。
この隼二型は現在は知覧特攻平和会館に展示されているようです。 -
>>2
番の名無しさんの画像は…失礼しました間違えました隼三型甲のモデルです。
機首に20mm機関砲を2門搭載した隼三型乙は試作機のみで量産出来ませんでしたから隼三型甲は後期というか最後期型になりますね。 -
>>7>>8さん
解説ありがとうございます
映画かドラマ用に作られたハリボテとは思いましたが、>>2の画像を見る限り、カウルがちょっと短いような気がしまして
しかし>>7の画像では、なかなか良く出来てるようですね
どうせなら、零戦のスレなんだから、零戦の画像の方が良かったようには思いますが -
スレ主です。
ご要望に応えて
現在も飛行可能な零戦を
零式艦上戦闘機二一型
と
零式艦上戦闘機五二型甲
の飛行中の写真です。 -
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同時期に採用された零式輸送機はDC‐3のパクりなんだから疑われても仕方ないのでは?
佐野某と同様にね! -
零式輸送機は正式にダグラスからライセンス生産権を取得してるので、ダグラス公認のコピーとは言えるかもしれないけど、パクりとは言えないのでは?
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>>15
ネットで調べてみたところ、80000USドルでライセンス生産権を取得したそうだ(諸説あるだろうし、しかもネット情報)
それにしても、「正式にライセンス生産権を取得」したものが、どう解釈したらパクりになるのかね?
どうしてもパクりにしたいのか?
ニホンゴワカリマスカ? -
ウィキのDC-3項目にこんな内容が…
(この零式輸送機について「DC-3のデッドコピー」という説も流布しているが、実際には上記の通り正式なライセンス生産に出自を発している)。太平洋戦争中期からは中島飛行機も一時生産を行った。昭和飛行機と中島飛行機によって、1945年(昭和20年)までに合計486機が製造された。
デッドコピー説もあったんだね
ニホンゴワカリマスカ?
こういう煽りキライです 見てて気分悪いわ -
まぁ兄ちゃん達、落ち着けや。だいたいや、戦前のアメリカは軍縮で航空機メーカーは景気がアカンかったんや。せやから言い値で購入してくれる日本の航空機会社は大のお得意様で重要性の高い擬装部品でも何でも売った訳やがな。零戦も重要な擬装部品はアメリカのを用いとるし、エンジンオイルなんかもテキサコエアプレーンを使用せよと取り扱い説明書に記載されとるがな。ほんでや零式輸送機もダグラスから製造権を購入して正規の契約の後に量産したから文句の言われる筋合いは皆無や。余談ながら海軍の搭乗員は零式輸送機を単にダグラスと呼んでたけどな。航空機の後進国やと思たから何でもかんでも日本相手に商売したら急に当時としては超が付くほどの高性能な零戦なんかを見てアメリカのコピーやと言いたなるのも仕方ないかの。
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機関銃や 機関砲類も 他国の物をライセンス生産してましたな‥?
日本は‥ ボルトアクションライフルは オリジナルで良い物を作りますが‥ 連発で撃つような兵器は 現在に至っても他国製品に頼らなくてはダメですな‥
因みに‥ 近年 豊和工業製のボルトアクションライフルが‥ ウクライナ軍の特殊作戦部隊用の狙撃ライフルとして採用されましたな‥
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まぁ帝国陸軍は三八式歩兵銃と精神力で戦い通したのが特筆に値するがな。それでも九二か九一かどっちかウル覚えやけど重機関銃なんか高性能との評価が高かったかの。零戦のエリコン式20ミリ機銃は、当初、ドラム式給弾装置やったのを独自に逐次改良を加えていき、本家のエリコン社でも不可能やとされていたベルト給弾式の実現に加え弾道性も良好になり、紫電改では一門あたり250発 の搭載が可能となり航空機銃としての性能を極めて、次に大威力の30ミリ機銃の実用化途中で終戦となった訳やな。
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その38式歩兵銃一丁で‥
中国大陸では‥ 中国兵100人に対して 日本兵10人でも有利に戦ったと言いますな‥
かつ 民間人にはとても優しかったとか‥?
戦う時には戦う‥ 民間人や負傷兵など いたわるべき相手には 非常に優しく接する‥
秩序が守られたメリハリがある軍隊でした‥
敵の将兵の遺体が 野生動物に喰い荒らされないようにと‥ 丁寧に埋葬して 簡単な木の墓標まで建てて弔う 世界的にも 例の無い軍隊でしたな‥
南京虐殺など 有り得ないのです‥
それと慰安婦ですが‥ 朝鮮人慰安婦と恋愛して結婚した日本兵も多数いたそうですな‥
民間人や慰安婦と 楽しく遊ぶ日本兵の写真が多数現存しています‥
その写真に写る民間人や慰安婦たちの笑顔ときたらありません‥
現在の海外派遣されている自衛隊員と接する現地民間人たちの姿と 何ら変わらない姿が写っています‥
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まぁだいたいやな、南京大虐殺は戦後の日本の病理巣である左翼のアンポンタン共がでっち上げた虚構やな。当時、方面司令官であった松井大将は、南京は中国の首都であるから各国の報道機関が駐在員を派遣し日本軍の行動を注視しておるから、南京陥落後の民間人への狼藉は固く禁じ、命令に違反した兵は厳しく罰する旨を発令しとるのや。そもそもデタラメ東京裁判でも対象にならんかった事柄が戦後に待ってましたとばかりにクローズアップされる事態はおかしいと思うがな。この嘘八百が更に生活苦から反日のメディアに金で釣られた元日本兵のアンポンタンの告発的な懺悔の気持ちをしたためた嘘の証言がスクープされるに至り、南京事件は真実性を帯びて来た訳やな。しかし後に嘘の証言をした元日本兵の上官等、当時、南京陥落戦に従事していた人達に詰問され、金銭に釣られ、嘘の証言をした事を認めてるのやな。 嘘をついたら舌を抜かれるでホンマ。
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今‥ 主に主婦たちが 日本の自虐的史観を正そう‥ 憲法九条を改正しよう‥
日本を特亜から守ろう‥
って運動し始めたのを知ってますか‥?
一見 一番お花畑思想に陥りやすそうな主婦たちにも 正しい歴史認識 国防意識が芽生え始めている人たちが出始めているんです‥
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韓流ブームで裏切られたり ネットの普及で中国の横暴を知ったり‥ ネットで第二次大戦の真実を知ったりして 目覚め始めたと思われます‥
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どこぞの左翼思想の主婦が 憲法九条を世界遺産に申請しようとした事がありましたが‥
それを阻止に動いたのも憲法九条改正派の主婦たちだったと聞いています‥
従軍慰安婦の捏造の阻止に動いている主婦もいるようです‥
主婦パワーは 正しい方向に向けられると‥ 侮れないモノがあります‥
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まぁ何やな、実のところは戦前の日本も正しく民主主義やったんやな。 一見は軍国主義に思えるけど、これは国民の民意で米英、なにするものどとイケイケの感じで、軍部が下手に軍縮や中支戦線の縮小を口にしようものなら、交番が焼き討ちされたり、右翼の怖い奴が高級軍人の暗殺を企てたりで、いつの間にか官民一体となり日本中が軍需産業の如く、せっせと軍需品を生産し軍事国家へとなっていったんやな。ほんでや圧倒的な国力を誇るアメリカが沖縄戦集結の時にとうとう莫大な戦費が尽きるまでになったんやな。勝ったと言えアメリカも日本人は恐ろしいから再び、戦争せんように日本人愚民化計画を実践して享楽的な生活に民意が向くように仕向け、対外的にも日本の国民がミリタリズムの権化やったでは、都合が悪いから、軍部にその戦争責任の転嫁 をして国民は軍部の犠牲者てあったと言う構図を作った訳やな。これに戦後の左翼思想のアンポンタンが調子こいて、我々は軍部に騙されていた。軍隊は色々な残虐な行いを働いたと妄想し、やがてその妄想が国内だけに留まる事なく隣国から更には世界中へと伝染し、限りなく日本を貶める事となったんやな。しかしネットの普及のお陰で手軽にに歴史の闇にうずもれたコアな実相を知るに及び、自虐史観に終止符が打たれるようになったんや。ネットは知覚の扉やったかも分からんな。 知覚の扉 開けてみればもの皆、その実相を現さんとな。
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日本が日米開戦に至った最初のきっかけは‥ 軍縮と言う見方もあるようです‥
戦艦・扶桑 山城 伊勢 日向だったと思いますが‥(別の戦艦だったかも知れません。)
この建造計画が上がった時‥ 軍部の一部から 財政的な理由により建造中止すべきの意見が出て‥ 一時は建造を断念していたようです‥
結局 のちに四隻とも建造された訳ですが‥ この建造中止されていた時 アメリカとのパワーバランスが一気に崩れ アメリカが力を持ち 日中戦争に口を挟む結果に繋がったようですよ‥?
当時は‥ 戦艦を何隻持っているかが国力を計る基準でしたから‥
パワーバランスが崩れ無かったら アメリカが日中戦争に口を挟む事も無かった‥ 結果 のちの真珠湾攻撃も無かった‥ と見る歴史分析もあるんです‥
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↑すみません‥ よく考えたら 扶桑 山城 伊勢 日向 は建造された時代が違うように思います‥
たしか 大正時代に造った戦艦だったような‥?
なにしろ‥ ネットのブログに 日本海軍が財政的理由から軍縮した為にパワーバランスが崩れ‥ それが最初のきっかけとなって 最終的に後の日米開戦に繋がった‥ との見解がありましたので‥
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まぁあれやな日米開戦の要因は、当時の時代のベクトルが戦争へ戦争へと突き進み人智ではどうにもならん大きな力が働いたためやな。日本を含む各国列強のアジアや中国での覇権争い。欧州でのヒトラー総統率いるナチスドイツとの対峙など混沌とした状況が一挙に噴出し世界大戦になった訳やな。ホンマに飽食の時代でのうのうと生活できる時代に生まれて良かったがな。
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日米開戦の遠因は、日露戦争がその発端やな。日本は莫大な戦費を国債で賄うしか手段がなく、その便宜を計ってくれたのがユダヤ系のアメリカ人やな。日本はその見返りとして満州での鉄道経営の利権をアメリカ側に約束をしたのや。日本はロシアとの戦いは絶対に負ける訳にはいかんから国民は極度の耐乏生活を強いられ、まぁ勝つまでは欲しがりませんの標語の通りやな。戦争には勝ったけど、実情はロシア国内がガタガタになって戦争どころでは無くなったからやな。しかし国民は莫大な賠償金を取れると思ってのが左にあらず。この上、満州に於ける鉄道の利権までをアメリカに譲渡したのでは日本国内で暴動の発生か懸念され、アメリカとの約束を反古にしたんや。これにより黄禍論が言われ始め、日米は国交がある中で互いに仮想敵国と意識し出したのやな。これにより歴史のベクトルが日米開戦へと突き進んだ訳や。
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自衛隊の特殊部隊は‥
M4使ってるんだそうですな‥
基本的に 米軍特殊部隊の装備と同じのようですが‥?
やはり特殊部隊となると‥ 自衛隊装備では心もとないですわな‥
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まぁあれやな、自衛隊の特殊部隊がM4を装備するのは米軍とつるんでのドンパチを想定しとるからやろな。
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いざとなったら米軍から弾薬を供給して貰えるしな。同盟国軍が同一兵器を使用するのは兵站の面からも好ましい事やな。余談ながら帝国陸海軍は用途別に種々様々な兵器を開発し、あげくに陸軍が潜水艦を開発するあんばいで関心するやら飽きれるで、航空機銃も口径が同じでも開発メーカーが異なるから弾薬の互換性も無いのやな。米軍なんかはブローニング12.7ミリ機銃を陸海軍で運用したのは、合理的やったな。
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事実かどうかは判りませんが‥
坂井三郎は‥ 20mm×2丁 7.7mm×2丁 の組合わせより‥ 米軍と同じ12.7mm×6丁の方が効果的と考えていたと言う記事を読んだ事があります‥
日本軍も 12.7mm×6丁を検討した事があったようですが‥ 実現には至りませんでした‥
弾薬の互換性ですが‥
日本には 弾薬やパーツの互換性を持たせて効率良く生産・運用すると言う概念が無かったのか何なのか‥?
弾薬どころか‥ 歩兵の小銃のパーツでさえ‥
同じ形式・同じ年式・同じ工場で造られた全く同じ小銃なのに 一丁一丁まるで手造り品のように微妙に寸法が違い パーツの互換性が無かったそうですな‥?
壊れたから 他から部品取りをするって事が出来ない大量生産品って‥
不思議な物作りしてたんですな‥(汗)
頑固一徹 一品物を丹精込めて作り込む職人みたいな物作りだったんやろか‥?
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零戦搭乗員のエースパイロット坂井三郎氏が米軍機の装備機銃の統一性を羨んでいた話は本当です。
実際に坂井三郎氏が米軍機の統一装備機銃を羨んでいた理由になるような事実がありました。
太平洋戦争末期になり米軍機が日本本土にも頻繁に来襲するようになり米軍の方が明らかに優勢だったにもかかわらず炸裂弾を撃って来る隼にやられたという米軍機の報告が多数寄せられたことがありました。
米軍機のパイロットたちは口々に敵機は隼だったと訴えましたが20mm機関砲を搭載した隼は試作機が作られた程度にすぎずこれは考えられないことでした。
ことの真相は12.7mm機銃を装備した隼でした。
陸軍の隼が装備した12.7mm機銃はブローニングのコピー品でしたが日本側で独自に改良した改良版でありアメリカはもとより他国の12.7mm機銃には炸裂弾がなかったのですが日本の場合は12.7mmの炸裂弾を独自に作り使っていたのでした。
隼の高い空戦能力と直進性が高く装備弾数の多い12.7mm機銃そして炸裂弾を使えるようにした点が非常に有効に働き当時の米軍戦闘機は軒並み2000馬力級エンジン装備の新型機ばかりだったにもかかわらず次々と撃墜されたのでした。
ちなみに零戦がなぜ20mm機関砲搭載をやめ12.7mm機銃多数搭載にしなかったのかというと敵の大型爆撃機を撃墜する目的を念頭から外さなかったからです。
大型爆撃機の場合は20mm機関砲くらいに大きな炸裂弾でないと撃墜が難しかったからです。 -
坂井三郎氏によると通常のケースでいえば7.7mm機銃や12.7mm機銃の場合は装備弾数は多く弾の直進性が高く命中させ易いが炸裂弾がないため穴を空けるだけで撃墜に結び付け難い。
一方で20mm機関砲の場合は装備弾数が少なくなり弾が大きいため炸裂弾もあり命中すれば大型爆撃機でも撃墜が出来るが弾が大きいため直進性が悪く放物線を描きションベン弾になってしまうため命中させるのが難しい。
初心者では命中させるのは非常に難しかった。
とのことでした。 -
まぁ坂井三郎元海軍中尉は、著名な零戦搭乗員ではあるけど、ガダルカナル進攻での戦闘で重傷を負い、それ以降の熾烈な空中戦には参戦する事なく唯一、復帰後の硫黄島上空の迎撃戦でグラマンの編隊を友軍機と誤認し、命からがら逃げ回ったんやな。20ミリ機銃アカン説は零戦が圧倒的優位な時期に装弾数が多い7.7ミリ機銃を有効に使用できたからやな。またこの時期の20ミリ機銃はドラム給弾の九九式1号銃で装弾数が60発と少なく、弾道性も満足できるもんとちゃうかったんやな。これが九九式2号銃になるとベルト給弾式への改良と良好な弾道性により、実戦部隊の評判も良く逐次改良され威力増していき米軍からはキャノン砲と呼ばれ脅威を与えていた訳やな。
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>>37
戦後‥ かつての日米 第二次大戦パイロットが集まってのパーティーだったかで‥
そのグラマンのパイロットの1人から 「あなたを追い回したF4Fのパイロットです‥」 と ご挨拶されて‥
坂井三郎元中尉は‥
「このヘタクソめが‥!!」 と返して 2人で笑いあった と言うエピソードがありますな‥
坂井三郎元中尉は‥ 戦後になって‥
作戦行動中に関わった様々な米国軍人や 空で遭遇した輸送機に乗っていた民間人にまで再開しておりますな‥
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坂井三郎元海軍中尉の硫黄島での空中戦はヘルキャットの編隊を零戦と思い接近したら敵機に気付かれたんやな。これはガダルカナルでの戦傷で片目が失明情態やったので致し方無いと思うけど、ガダルカナルの時も敵攻撃機を戦闘機と誤認し後方から策敵の機動をとった途端、旋回銃の集中砲火を浴びたんやな。辛くも不撓不屈の精神力でラバウルに帰投したのは特筆に値するけど、これより以降の激化しつつあった米軍機との空中戦に従軍をしていないので、終戦で復員、縁があってか手記をしたため、折からの戦記ブームに乗じ零戦の語り部となったんやな。しかし実相は、零戦21型と7.7ミリ機銃をもって敵機を圧倒した戦争前半の零戦の語り部と言う訳や。いわば米軍機が零戦と格闘戦を挑んでいた時期までの体験談が基となり、そこから20ミリ機銃アカン説と52型改悪説が独り歩きしたのやな。史実ではより高速化した2号艦戦(22型と52型)とそれらに装備された2号20ミリ機銃は敵機に対し有効で1号艦戦、つまり21型の配備は及ばない(要らない)旨の要望が部隊から出ていたんやな。しかしこの時の手記が基となり海軍戦闘機搭乗員と零戦の事細かい操縦要項等の正確かつ精緻な事柄が一般のものとなった功績は大きいものがあるねんな。
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米軍機装備のブローニング12.7ミリ機銃は発射速読と弾道性に優れ、戦闘機用機銃として申し文ない性能ではあった反面、重量がエリコン銃より重く、機構的な欠点としてはジャム(弾詰まり)が多発し、特にGのかかる機動で顕著に発生し、このため多銃化する必要性があったんやな。しかし防弾性の低い日本機から見たら遠距離からの的確な機銃掃射は脅威意外の何物でも無かったんやな。しかし戦争後半で防弾性を高めた日本機には威力不足になった感があり、特に特攻機を迎撃する米軍のパイロットからは命中弾を与えててもそのまま突進するので早急に20ミリ機銃の装備して欲しいとの要望が出されたのも事実やな。これにより防弾強固な米軍機、特に重爆に対しては、炸裂弾が装着された20ミリ機銃は非常に有効であった訳やな。また日本海軍はエリコン式20ミリ機銃のスペシャリストであった田中悦太郎特務大尉の尽力によってエリコン社でも実現不可能とされたベルト給弾式に成功して前にも書いた通り紫電改では4丁の20ミリ機銃装備により、一定水準の熟練度の搭乗員であれば的確な射撃が可能となり米海軍の戦闘機部隊より日本海軍に新型戦闘機出現。ヘルキャットやコルセアでは危険なレベルなので早急なベアキャットの部隊配備の要求が出されたんやな。まぁ実際にはその頃の日本海軍は兵站がガタガタになり、熟練搭乗員不足もあって米軍機を圧倒するのは不可能やったけどな。ほんでやけど結論としては、米軍にはブローニング機銃が日本海軍にはエリコン機銃がそれぞれ不可欠な航空機銃であり優劣の判定は難しいと思うけどどやろな。特筆すべきは両機銃共に原型の誕生から90年近くになるのにいまだに現役で装備されとる事やな。
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今尚、盗作だと信じたままでいる欧米人も一部にはいます。
当初、欧米人は日本人が零戦を作ったこと自体を信じずその存在自体が嘘だと信じていました。
しかし太平洋戦争の緒戦でアジア太平洋地域の空から自分たち欧米人の作った飛行機がことごとく叩き落とされてしまった時に初めて日本人が本当に零戦という自分たちにはない飛行機を作り大量使用している現実を認めざるを得なくなりました。
それでも日本人の力なのだと認めたくない欧米人、日本人に対し人種差別とも言える差別偏見を捨てきれない欧米人は零戦はアメリカのVought V-143の盗作だ!イギリスのGloster F.5/34の盗作だ!などと言って真実を認めたがらなかったようです。
その名残は今も一部の欧米人に根強く残っているのも否定出来ません。
アメリカにとっては「ゼロ・ショック」でしたからね。
普通どこの国の軍隊でも敵前逃亡は銃殺の対象ですが当時のアメリカ軍では零戦と遭遇した場合は特例で逃げていいと言われていたくらいでしたからね。
参考写真を貼りますが皆さんの目から見て似て見えますか?