ステルス機
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アメリカのF-22ラプターの初飛行から遅れること20年が経過した2010年にロシアのスホーイT-50は初飛行しました。
アメリカより随分と遅れた印象が否めませんがロシア人にはロシア人の御国の事情がありました。
アメリカのATF(先進戦術戦闘機)計画に相当するようなMFI(多機能前線戦闘機)計画が1981年には存在しMiG-1.44という試作機の開発が進められていましたが国の経済低迷やソ連崩壊などの大変な混乱がありなかなか進展せず1995年にやっと初飛行する予定だったのが更に遅延していました。
そうこうしているうちにスホーイS-47 Berkutが初飛行を行ってしまったためミグも慌ててMiG-1.44を2000年に初飛行させました。
MiG-1.44は形状的にステルス的な形をほとんどしておらず形は在来的でもプラズマクラウドという技術を使いステルス能力を持たせる予定でした。
しかしこの技術が上手く実用化出来なかったらしくロシア軍に採用される見通しも無くなってしまいました。
ロシア軍は新たにPAK FA(前線空軍向け将来航空複合体)計画を立てスホーイ御指名でスホーイT-50を開発させました。
そして2010年にスホーイT-50は初飛行しました。
・1997年9月25日に初飛行したスホーイS-47(元々はソ連海軍艦上戦闘機として開発されS-37KMと呼ばれていました。)の写真。
・2000年2月29日に初飛行したMiG-1.44(元々はソ連空軍のステルス戦闘機として採用されることを目標に開発されていた。)の写真。
・2010年1月29日に初飛行したPAK FAスホーイT-50の写真。
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ロシアのPAK FAスホーイT-50ステルス戦闘機は一見すると既にアメリカのATF計画で競争試作として作られていたYF-22とYF-23を足して二で割ったような姿と作りをしたステルス戦闘機といえそうです。
但しアメリカの場合はYF-22もYF-23もどちらも在来型戦闘機にはないステルス性能を出すための特有の特徴を徹底的に備えており妥協しない作りが各部に有りました。
ロシアのPAK FAスホーイT-50ステルス戦闘機の違う点は何かといえば高い機動性と高いレーダーの探知能力と赤外線捜索追尾システムの装備は追及していたもののステルス性能についてはあまり突き詰めていない結果となっています。
機体表面各部の角度もアメリカ製ステルス機ほど徹底されていませんしジェット排気口の形状も在来型戦闘機と何等変わりません。
同じ円筒型のジェット排気口でもアメリカのF-35のように工夫した鋸状にギザギザした形状にもなっていませんので妥協した感がかなりあります。
もしかしたらプラズマクラウド(機体表面全体に低温プラズマを発生させ飛んで来た電波を吸収してしまい反射させない技術)によるステルス技術が実用化出来ればそれを導入して形状的にはいろいろ気を遣わなく済むという皮算用があったのではないかと連想させられてしまいます。
でも現実としてロシアでもプラズマクラウドは実用化出来ていません。
プラズマクラウドの技術はアメリカでも研究されていましたが現在の技術では実用化は難しく将来技術扱いとされ現行戦闘機には採用されませんでした。
・アメリカのATF計画で競争試作されたロッキード陣営のYF-22とボーイング陣営のYF-23の写真2枚。
・ロシアのPAK FAスホーイT-50ステルス戦闘機の試作機の資料。
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↑一部訂正します。
YF-23を開発したのはノースロップ陣営でした。
ごめんなさい。 -
1970年代中盤アメリカ軍のF-15イーグル戦闘機のソ連空軍戦闘機に対する一方的な優位性は一次的なものであるとする空軍情報部の情報により軍事衛星による偵察を行った結果ソ連が開発中だった新型戦闘機が撮影されその存在が明らかとなりました。
それらが後のMiG-29フルクラムとSu-27フランカーでした。
フランカーの写真しか持っていないのでフランカーの写真を
・アメリカの軍事衛星に撮影された駐機中のスホーイSu-27フランカーの試作機T-10-1の写真。
・その後入手されたスホーイSu-27フランカーの試作機T-10-1の飛行中の写真。軍事衛星が捉らえていたのは正にコイツでした。現在知られているスホーイSu-27フランカーとはまるで別機です。主翼なんかはコンコルドからパクった技術オージー翼です。垂直尾翼なんかはエンジンの真上にマウントされています。
試作中に死者まで出すほど不安定な試作機でした。そのため改設計というよりは作り直しに近いくらい別機となってようやく生産型になりました。現行フランカーのようになったのは試作機T-10-7以降でした。
・ウクライナ空軍のものだと思いますが現在知られているスホーイSu-27フランカーの写真。
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ソ連/ロシアの数少ない外貨獲得手段として世界中の航空ショーで派手なアクロバット飛行を披露し大人気のSu-27フランカー系の戦闘機なのですが元々の試作機はかなりのくせ者で失敗作に近い機体でした。
主翼はイギリスとフランスの共同開発機超音速旅客機コンコルドの技術をパクったオージー翼という緩やかに捩って丸めたような翼、垂直尾翼はエンジンの真上にマウントされていて現在のSu-27系戦闘機よりも垂直尾翼と垂直尾翼の間隔はかなり狭く、脚カバーはエアブレーキの役割を兼ねる設計となっていました。
飛行時の安定性がかなり悪く試作中に死亡者まで出し大々的に作り直さない限り試作開発が続けられないほど深刻な問題となっていたようです。
航空ショーのアクロバット飛行で脚光を浴びるSu-27系戦闘機も素晴らしい飛行特性を見せることが出来るようになったのはこのような相当な難産があったからだといえます。
・試作機T-10の三面図とSu-27フランカーの三面図。
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ソ連はアメリカが開発中だと伝えられていたマッハ3のスピードで飛行出来て核爆弾を搭載出来るというXB-70バルキリー戦略爆撃機を意識し過ぎるあまりその対抗策であるマッハ3で飛行出来る迎撃機MiG-25フォックスバットの開発に没頭し過ぎてしまいました。
アメリカの核攻撃から祖国を守るというのは優先課題になりますので対抗策に没頭してしまったことはしかたのないことでした。
同じ立場だったらどこの国でも同じような行動をとったことでしょう。
気持ちは察するに余りあるところがあります。
同情します。
そうこうしている間に気付けばアメリカではF-14、F-15、F-16、F-18と新型戦闘機群が現れておりソ連としてはこれらのアメリカ製新型戦闘機に対抗出来る新型戦闘機を開発することが急務となりました。
そういう経緯があり打倒アメリカ製新型戦闘機群を目標にスパイ活動でパクった技術から何から何まで投入してでも完成させようとしたのがSu-27やMiG-29でした。
スホーイ設計局が作ったSu-27フランカーの場合を例にあげるとアメリカやヨーロッパ諸国からスパイ活動で入手した技術や自国で研究開発した技術を投入してブレンディット・ウィング・ボディーの全面的導入や前縁がS字を描いたようであり全体を緩やかに捩って丸めたようなオージー翼を主翼に取り入れたり大型の主脚カバーをエアブレーキとして使えるようにしたりして高性能戦闘機を目指しました。
しかし奇抜な作りはあまり良い結果を生まず結局は生産型として採用される頃までにはまるで別機のように作り直され主翼も通常型になりエアブレーキも一般的なものになっていて全体的にはアメリカのF-15イーグルと同様な形になっていました。
その姿はあたかもアメリカのF-15イーグル戦闘機にアメリカのF-16ファイティングファルコン戦闘機とアメリカのF-18ホーネット戦闘機のブレンディット・ウィング・ボディーやストレーキを全面的に取り入れたような戦闘機に仕上がっていました。
・航空自衛隊のF-15DJ(アメリカ空軍のF-15B/Dに相当します。)イーグル戦闘機のエアブレーキの写真。
・スホーイSu-27フランカーの試作機T-10-1のエアブレーキの写真。(大型の主翼カバーがエアブレーキ兼用カバーです。)
・ソ連空軍のスホーイSu-27フランカー戦闘機生産型のエアブレーキの写真。(生産型ではアメリカのF-15イーグル戦闘機と同様のタイプに変更されています。)
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東西冷戦時代はソ連の鉄のカーテンによりMiG-29フルクラムやSu-27フランカーを含め東側陣営の兵器の詳しい情報はひた隠しにされ知ることは困難であり情報部のスパイ活動で得られた断片的な情報が伝わって来るのみでした。
しかし1989年11月9〜10日のベルリンの壁崩壊により東西ドイツの統合が実現した後それらの情報は徐々に明らかにされていきました。
その手始めがドイツからでした。
東ドイツ軍が保有していた兵器類は使えそうな有用な兵器のみ内部の機器類を西側仕様に変更し安全規準を上げたうえで西ドイツ軍側に吸収合併されることになりました。
その際に東ドイツ軍が保有していた比較的新しい装備であったMiG-29フルクラムが注目され西側仕様に変更される前に西側製戦闘機との模擬空中戦が行われることになり願ったり叶ったりだとアメリカ軍は大喜びで模擬空中戦に使う戦闘機とその要員を用意したといいます。
そして注目の模擬空中戦では自信満々だった西側諸国空軍関係者の期待を大きく裏切りなんとほとんどの場合MiG-29フルクラムが西側製戦闘機をコテンパに撃墜するという結果になってしまいました。
西側関係者には衝撃が走ったといわれています。
西側製戦闘機より後から完成した新しさによる空力設計の良さとパワーのあるエンジンによる機動性の良さももちろんありましたがそれまでの西側製戦闘機の考え方とはまた違うソ連独自のシステムによるところが有効に働いていました。
それは機首に固定装備されたIRST(赤外線捜索追尾システム)とそれに連動して使えるHMD(ヘルメットマウントサイト)による敵機を自在にロックオン出来る視界の広さにありました。
これによりレーダー照射を行うことなく赤外線で捜索追尾照準されてしまうため西側製戦闘機のパイロットたちは何が起こったのかわからないうちに撃墜されていきました。
しかし赤外線ですから目視で見える程度に近距離での接近戦の場合のお話であり後年世界各地(中東など)の空で起きた空中戦の実戦ではMiG-29フルクラムは西側製戦闘機に大敗してばかりでした。
原因は地上レーダーや空中早期警戒管制機などとの連携の有り無しが大きく作用しているといわれています。
それにしてもレーダーの他にIRST(赤外線捜索追尾システム)とHMD(ヘルメットマウントサイト)を活用するソ連独自の戦い方は西側諸国空軍に大きな影響を与えたのも事実でした。
これらの装備化を考える国々も増えました。
MiG-29フルクラムとF-16Cファイティングファルコンがクラス的には同クラスなので
・MiG-29フルクラムとF-16Cファイティングファルコンの比較図。
・飛行中のドイツ空軍MiG-29フルクラムとアメリカ空軍F-16Cファイティングファルコンの写真。
・R-27(AA-10アラモ)空対空ミサイルを発射するドイツ空軍のMiG-29フルクラムの写真。
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ソ連製戦闘機に西側製戦闘機が軒並み圧倒されてしまったこの現実はソ連空軍と西側諸国空軍の兵器に対する考え方の違いを表していました。
ソ連の国土は世界一広く広大であり西側諸国のそれぞれの国土はソ連より狭くそれに起因してインフラの整っていない僻地にある基地がソ連には多く存在しています。
そのためソ連空軍はたくさんの戦闘機を必要とする一方で一機一機に西側諸国空軍ほどには十分なサポートを与えることが困難となり他者からの支援が無くても出来るだけ単独でも戦えることを望む傾向が昔から強くそれが戦闘機の作り方にも強い影響を与えています。
ソ連空軍の場合はそういう考え方からエンジンの寿命やメンテ頻度が短くても大量生産出来て大出力なものを望み整備能力の高さは最前線の兵士たちには最初からあまり望まず問題があった場合は整備能力の高い整備拠点に運んで整備して送り返す方法を重視しています。
MiG-29フルクラムの空気取り入れ口がストレーキ上にも設けてあるのはソ連空軍では珍しくない舗装整備されていない僻地の基地でもエンジン故障を起こさせないようにするための理由によるもので支援の少ない最前線でも各々頑張って戦えという考え方の証なのでした。
模擬空中戦の際にドイツ空軍のMiG-29フルクラムがIRSTとHMDの活用により空中早期警戒管制機などからの支援がなくても単独で西側製戦闘機を次々と撃墜出来たのもソ連空軍独自の考え方から来たものだといえます。
ステルス戦闘機の開発もステルス戦闘機開発計画の名前の付け方にもそのソ連独自の考え方が色濃く表れています。
ソ連流では武器は与えてやるから中央政府に期待するな各自で頑張って戦えそして必ず勝利しろという考え方なのでしょう。
・ソ連流の兵器に対する考え方が色濃く表れているMiG-29フルクラムの写真。(サブの開閉式空気取り入れ口のルーバーがストレーキ上に見える写真です。)
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時代は少し遡りますがこれらソ連の新型戦闘機についての詳しいことは不明ながら鉄のカーテンの向こう側できっと物凄い戦闘機を作っているに違いないという妄想が広がりこれをハイペースで生産されたらアメリカ軍の優位性が危うくなるため1980年代初めアメリカ軍はソ連のMiG-29フルクラムとSu-27フランカーに対して圧倒的優位に立てる将来型戦闘機の模索を始めました。
その手始めとしてアメリカ国内航空機メーカー7社に対し各社設計案の提出をさせその中からロッキード社案とノースロップ社案を選定。
各社はそれぞれ2チームに分かれ協力し合って競争試作をすることになりました。(グラマン社とロックウェル社は参加を辞退)
同時にエンジンについても並行してジェネラル・エレクトリック社製とプラット&ホイットニー社製の2種類のエンジンを試作して選定することになりました。
内容がかなり複雑ですがまとめるとYF120-GE-100搭載YF-22(1号機)とYF119-PW-100搭載YF-22(2号機)をロッキード社/ジェネラル・ダイナミックス社/ボーイング社のチームが試作開発する。
一方ではYF119-PW-100搭載YF-23(1号機)とYF120-GE-100搭載YF-23(2号機)をノースロップ社/マクドネル・ダグラス社のチームが試作開発する。
そして都合4種類の試作機で競い合い一番優れたものをアメリカ空軍が採用するということに決定されました。
・こちらロッキード社/ジェネラル・ダイナミックス社/ボーイング社チームの試作機YF-22の1号機と2号機の写真。
・こちらノースロップ社/マクドネル・ダグラス社チームのYF-23の1号機と2号機の写真。
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どちらの試作機もステルス性能を持つこと電波的にも熱源的にもということで角角したスタイルの外形を持ちジェット排気口は熱源を出来るだけ拡散させる目的で従来型戦闘機のような円形ではなく横に平たい長方形とされ基本的には武装はすべて機内収納密閉式エンジンは超音速クルーズ性能を持つこと(アフターバーナーを使用しなくても超音速飛行を持続出来る能力)とされこれらの点は絶対条件とされていました。
ノースロップ陣営は過去にはとらわれず斬新な発想と技術によりステルス性能を引き出すことを強く意識して斜めの角度を多用しつつも曲面を取り入れた未来的なデザインで胴体と翼が緩やかに融合した菱形の機体に水平尾翼と垂直尾翼を兼用にして斜めに取り付けた斬新なデザインそして下から排気口が見えない作りにしてYF-22ほどには完全な二次元式推力偏向ノズルにはなっていないものの排気口には特殊な耐熱吸熱素材を使いYF-23を作り上げました。
ちなみにYF-23は暗いグレイに塗られた1号機の方はブラックウィドーⅡ明るいグレイに塗られた2号機の方はグレイゴーストと呼ばれていました。
ロッキード陣営は保守的であまり冒険はしたくなかったのか基本的な各部の配置はF-15イーグル戦闘機のような配置を取りつつ各部をステルス的作りにして全体をステルス機にまとめ上げ戦闘機の本来的特技である高い機動性(二次元式推力偏向ノズル付きエンジンを標準装備)による格闘性能を極限まで追求しました。ちなみにYF-22は当時はラプターではなくライトニングⅡと呼ばれていました。
これらが各種試験を実施し競い合い最終的にはロッキード社/ジェネラル・ダイナミックス社/ボーイング社のチームが開発したプラット&ホイットニー社製YF119-PW-100搭載YF-22(2号機)のタイプが採用されることになりました。
これが後に細々したリファインを繰り返し現在のF-22ラプターになりました。
・YF-22の1号機の写真。
・YF-22の2号機の写真。
・YF-22ライトニングⅡとF-22ラプターの比較図。(この図の主翼を見ると翼の外側を捩って下げてあります。やはり現代のステルス機時代に至るもアメリカにとって太平洋戦争当時の日本の零戦は今だに影響を与え続けているのだなあと実感する部分でもあります。)※太平洋戦争当時に日本海軍が開発した零戦は小回りを効かせた空中戦の最中に翼端失速を起こし墜落してしまわないように主翼の外側を捩って下げるという作り方をしていました。当時のアメリカ製戦闘機にはない作り方でした。アメリカは入手した零戦を徹底的に調査しましたがこの作り方に気付いたのは戦後になってからのことでした。
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双発エンジンに双垂直尾翼という姿であるため比較する対象物がない単機状態では一見大柄な機体であるかのように見えますが世界各国が開発しているステルス機の大きさに比べれば1番小柄な小さい機体となります。
F-16戦闘機かF-2戦闘機程度とかなり小型の機体です。
何時になるんだ?何時になるんだ?と多方面でささやかれていた日本製ステルス機の実機の初飛行はいよいよ来月2月の中旬になる予定です。